7月29日朝3時。
記念すべき “黄金郷” 初の記事。
今、湯船に浸かり、音楽を聴きながら書いている。
あの1月4日から、もう半年強が過ぎた。
あの日仕込んでいた最後の仕掛けは60%程の出力で作動し、なんやかんやで生き残った。
今もう既にあの日が懐かしいくらいだ。
きっとそう遠くない未来、今書いているこの日を懐かしく思う日も来るのだろう。
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師
12/20 WK 300 → 600
12/20 S 100+50 → 200×n
黒計 800+200n
空計 未
R
12/20 WK 500 → 1000
9/1 Z 60+330=390 KA 300+20=320 H 150→225 Fri 80→85 WKO 20
計1020
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現状は100点満点中、55点。
次の12月の計画の、
一般成功率は約60%
及第点10%
大成功率10%
失敗率15%
最悪のシナリオ5%
…これは私の生き方的には上出来すぎる状況だ。
今年の年末、そして来年には
彼らと勝利を手にしている事を祈る。
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風呂場に持ち込んだスピーカーから、
Youtubeのオススメで上がってきたファイナルファンタジーのBGMが流れている。
…人生をRPGのゲームに例えるなら、
私はずっと魔術師になりたかったんだと思う。
自分で何か新しい魔法を生み出せる魔術師。
自分一人で大量の敵を一掃できる強い魔術師。
ポーションを自作したり、
芸術的な魔法陣を思いついたり、
そういうオリジナリティ溢れる活動ができる人を尊敬していて、
そういう職業に憧れを抱いていた。
けれど自分には、凡そ魔術師の適性が無かった。
冒険が本格的になる前の序盤の敵と戦うくらいなら、
魔術師の真似事をしていても割とまだ何とかなってはいた。
だけどレベルが上がって、遭遇する敵が強くなるにつれて、
憧れや真似事だけで才能や適性の伴わない職業のスキルでは、少しずつ勝てなくなっていった。
出会ってきた冒険者の中には、勝てなくても、次のステージに行けなくても、自分の好きな職業で自分のペースで冒険するのが良いと言う人も居た。
というより、この国の冒険者達や冒険者ギルドはそちらの方の考え方を推奨していたように思う。
効率的な方法で勝つ事に拘るのでは無く、やりたい事をやろう、皆違って皆良いと励ましあっていた。
私も最初はそうだなと思った。
憧れの魔術師に成れるようにと、休日には魔術アカデミーに通っていた。
アカデミーはキラキラしていて、魔術師の卵が沢山通っていた。
…だけどまあ私には笑えるくらい、魔法の才能が無かった。
才能が無いだけならまだしも、
課せられた基礎修練は死ぬほど退屈で、飽き性の私はそれに耐えられず、すぐサボるようになってしまっていた。
お金を払ってアカデミーに入ったのに…最悪の状況だった…。
当然、その間も生活費はかかるから、自分が生きるだけの最低限の魔物は退治し続けなくちゃいけない。
アカデミーに通う人ならば、誰もが魔法で格好良く敵を倒したいと思う。
だけど実際の戦闘では、
魔法で魔物を倒そうだなんて頭の片隅にも思わなかった。
だってそんな事ができるのは長年魔術師をしてきたお爺さん師匠と、一部の特に優秀なお弟子さんのみだったから。
アカデミーで優秀だとされていたあの女の子ですら、未だ魔物を倒せるまでには至らず、杖で殴って何とか生活費を稼いでいたのだから。
それでも魔法の修練は自分が選んだ道だからと無理やりでも続けた。
“努力してやる奴が、楽しんでやる奴に勝てるわけが無い”
ふと道端でそんな言葉に出会った時は、
本当にその通りだなと思って、悲しくもなった。
それでも責任感と義務感、
あとは見栄っ張りな意地だけで自分は魔術師を目指すと言い続けた。
嘘だ。本当はもうどこか無理だって思ってた。
魔法が楽しいものだとは思えなくなっていた自分が居た。
結局、私はアカデミーを辞めた。
惨めだった…。
自分はダメな奴だったんだなと思った。
弟子入りを許してくれたお爺さん師匠には、
期待を裏切って申し訳ない事をしたと、
今でも思い出すことがある…。
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ただ1つだけ、そんな自分にも謎の特技があった。
それは、自分よりも強い精霊や魔獣を手懐け、言う事を聞かせられる、というものだった。
実際にアカデミーに通う間の生活費も、そのスキルで魔物を配下にして戦わせて稼いでいた。
不思議な話だが、
当時の私はそれを殆ど気にも止めて居なかった。
というより、それがスキルだとすら思ってなくて、魔物同士の縄張り争いだとかで、偶然が続いてただけなのではとすら思っていた。
だから寧ろ、こんな偶然がいつまでも続く訳は無いのだからと、
いつまでも魔法で敵を倒せない自分に焦りを感じていて、そちらにしか目が行ってなかった。
この世界は悪意に満ちていた。
街中での暮らしも貴族以外は楽では無かった。
しかし自由を求めて街から一歩出れば、
そこには血に飢えた魔物が溢れていた。
私は何故か魔物が恐ろしくはなかった。
彼ら1匹1匹の心の中がぼんやりと見えた。
小さな木の実を食べたい魔物には木の実を採ってあげた。
大きな獲物を狩りたい魔物には強い武器を渡してあげた。
私を怖がっている魔物には優しく接した。
私を餌にしようと狙っている魔物からは逃げた。
気付いたらそういう風になっていた。
いつの間にか自然とそうしてしまっていた。
そしてそれらは(何度も繰り返し)上手くいってしまっていた。
それらは偶然では無かった。
それこそが特技であり、スキルであり、
本来の意味での
“自分らしく”
の正体だったと、漸く気づいた。
…
アカデミーに同じ時期に入ったあの年下の女の子は、特別何をする訳でもなく私なんかより何倍も早く上達していた。
それはそういう事だったのかも知れないと、この時漸く肌で感じた。
これは、冒険者ギルドからすれば、
少し言うのを憚られるような類の
“不都合な真実” の1つだったのだろうと察した。
鳥は飛ぶ事を、魚は泳ぐ事を、頑張って意識して出来るようになるのでは無いということ。
右利きの人が右手で箸を操る様に、
身体が大きい人が戦う事に、身体の小さい人は隠れる事に元来向いている様に、
音楽家の両親の下に生まれた子供が、本人がそれを望むかどうかは別として、優れた音感を遺伝によって与えられている様に…。
生まれながらにしてその個体に備わっている適性というのは、それ自体がスキルに直結していて、それは向き不向きなんて言葉で簡単に片付けられるようなレベルの話じゃないと気付いた。
別に誰に教えられる必要も無く、普段のちょっとした動作や、或いは危機的な状況に於ける無意識の行動の中に、自然と現れてしまう特技。
それを人はスキル<才能>と呼ぶのだと。
自分のこういう才能を “伸ばしたい” …。
意図的にそんな風に思っている時点で、
もうそれは才能ではなく憧れなのだと言うことを。
そして残酷な事に、
人は自らと最も遠い存在にこそ、畏敬と憧れを抱くものなのだ。と。
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魔術師に必要な才能は努力と突出した探究心、根気強さ、そして個人のユニークなセンスだった。
一方で召喚術士に必要なのは戦略的な思考と、魔物を従える為のカリスマや、血の優位のような何かだった。
私は前者に憧れたが、
持っていたのは後者だった。
魔術師の強さは研鑽した魔力に寄るが、
召喚術士の強さは契約した魔物の強さに依存する。
どちらにしても才能がものをいう世界だ。
上級ダンジョンへ進むには、
魔術師にせよ召喚術士にせよ、
その職業を極めなければならない。
それでもまだ、いつかは花開く筈だと、
努力を美談とし、淡い期待に自らの運命を捧げるのだろうか。
それでも構わない。それもまた、覚悟だ。
しかしそれは、相当の覚悟だ。
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つらつらと、大量に書いた…
後日編集も加えたら、
ちょっとした読み物みたいになってしまった。
もう朝6時過ぎだ。
風呂場の窓から見える外が明るい。
“闇の書”の方がリアルで生々しいから、
“黄金郷” の話はファンタジーっぽいのが何だか良い感じだ。
それでのただの作り話としてのファンタジーじゃなくて、
実際に経験してきた話から書くのはとても楽しい。
自分で言うのもどうかと思うが、この部分とか中々に上手いこと言えてんじゃないか〜なんて1人で読み返して盛り上がっている。
こんな風につまらない事言いながら、
本来であれば誰にも言えないような事を本音で自由に書き遺してるのって、
何か、あぁ、ブログしてんなぁ…って感じだ。
とても楽しい。
夢の黄金郷はまだ遠い。
けれどある日突然、何かがあるかも知れない。
それがこの生き方の良い所でもある。
今から3年以内には、
輝く黄金郷の面影くらいは見えてきてると良いな…。
その時はお前達も一緒にだ。
召喚術士というのはそういう職業だから。
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